絶対的な愛というもの

あーる♪

2007年03月13日 04:42


  2006年 沖縄のビーチにて それはそこへ歩むということ

 赤ちゃん。

 その生まれたての生命は純粋な命としての、無垢なる魂を持つ存在です。
 赤ちゃんは言葉を持たないがゆえに、思考というものはありません。

 言葉は左脳から生まれます。
 ゆえに、赤ちゃんは右脳の働きが凄まじく活発しているといえるでしょう。

 赤ちゃんの見る世界は、あるがままの世界そのものです。
 感覚だけの世界そのもので、直感的に物事をとらえ、情報間に無意識に
 法則を見つけると言われているそうです。

 ゆえに成長スピードも一生の中で最も速く、瞬く間にあらゆる現象を
 記憶し、それはまさに超人そのものです。


 さて、ここで質問です。
 人間の一生の中で超人的な能力を発揮する時期であり、それはまさに
 人間として完璧に近い存在でもあるはずです。

 それなのに、どうして一人では生きられないという、人間の一生の中で
 最もか弱き存在であるという矛盾があるのでしょうか?


 それは絶対的な愛というものを学ぶためだと思うのです。
 もし生まれてすぐ一人で生きられる能力も合わせて与えられたのならば、
 愛というものを知らずに育つのでしょう。

 それゆえに、人間として根本的なものとなる愛そのものを、
 愛とはいかなるものかということを、最初にその超人的な能力を
 もって最大限に学ぶのではないのでしょうか?


 生まれたての赤ちゃんへ、親が見守る存在としてわが身の時間を
 赤ちゃんへ捧げ、その絶対的な愛を赤ちゃんへ示します。

 それはまさに、最も思いやりのある究極的な愛そのものだと思うのです。
 完全に無償で、無私で見返りを求めず与えるだけの愛そのもの。


 最初に愛を本能の奥深くへ刻むために、学ぶために生物の中でもっとも
 か弱き存在として、一人では生きられない能力を与えて生まれた。

 それゆえに、人間は全て最初に愛とはいかなるものかを本能でそれを
 知っていると私は思うのです。


 ここまで書いていて気づきましたが・・・。
 ひょっとすると絶対的な愛そのものとは、もうすでに胎児のときに
 与えられていたのではないか、とインスピレーションでそう感じました。

 母親の生命の中で。
 母親と同化し、母親と共に生きるということ。

 それはまさに大いなる何かに・・・絶対的な存在へその身を全て委ねて。

 全て委ねる時に、一切の疑惑も抱かず、恐怖も不安も悩みも微塵もない、
 究極的までの安らぎをそのときに感じ、大いなる愛を感じている・・・。


 それを、胎児のときに本能的に感じた世界そのものを思い出すときに。
 人間は赤ちゃんから生まれ、赤ちゃんへと還る。

 生まれるときに、大いなる愛を受けて、
 還るときに、大いなる愛を与える。


 人生とは、始まりのときに受けた大いなる愛を思い出していく旅なのかも知れない。